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yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

児童文学 俺は天使か 1

  俺は天使

             吉馴  悠
       1

 どうも今日は嫌な予感がする。

 西の空から東の空にかけて、灰色の雲が広がり、今にも雨が降りそうだ。こんな日は、親父の機嫌が特に悪い。四年前に遭った交通事故の後遺症で頭痛がすると言う。おれは背中にしょつているランドセルに入っている、漢字の書き取りテスト三十八点を見せるべきかどうか迷っていた。

「三十八点、バカヤロウ!どうせならゼロ点か百点をとってこい。中途半端が一番よくねえ」

と、大きな声で怒鳴られ、週刊誌を丸めて頭を四五発叩かれるに決まっている。今日のところはこっそりと、机の抽き出しにしまっておこう。それが家庭円満の秘訣だ。何も平穏な家庭に波風を起こすことはない。親父の血圧を上げることもない。おれも殴られずにすむし、お袋も親父に味方しようか、おれを庇おうかうろうろして迷わなくてもすむと言うものだ。俺は恨めしげに空を眺めた。



 おっと、おれの名前は吉川勇太。市立壽小学校六年へ組十八番、出席簿は男でビリだ。なにせ、三月二十九日がおれの生誕の日だからチビでヤセだ。何が困るかと言うと、強い風の日にはよたよたとして前に進めないのだ。何時だったか、強い風の日に押し倒されてホールアウトをくらってしまったのだった。と言うわけだから、むろん、勉強もみんなより遥かに遅れ、勉強も体重と背丈に正比例をしているのだった。遅れたのは生まれが遅いばかりではない。小三の時に遊んでいて車とぶつかり大腿骨を折り、二 カ 月ほど入院したのも原因していると

思っている。折れた足はを釣り上げられ、それを毎日毎日恨めしく眺めて過ごした。あの時に九九の一つも覚えていたらよかったと後悔をしたが、それは寝小便と同じだろう。そんなおれだから、自慢じゃないが授業中に手など上げたことはない。おれが上げても、答えを間違い授業の流れが止まることとを知っている先生は絶対に当てない。勉強もスポーツもなじめない。まして、友情を深めるなんてとても出来ない。その上、顔も親父譲りで上等な作りではないから、クラスはおろか全校のメスガキにもてたためしがない。と言ってしまえばおれの取り柄はなにもないことになる。それでは淋しいので、のんびりしていることを上げておこう(どうか野呂間などと言わないで欲しい)。実はそれには深いわけがあるのだ。おれは、何事にも納得をしないと行動を起こさないだけなのだ。おれはおれが正しいと思ったら、機動戦士ガンダムが来ようが、ミサイルが飛んでこようがテコでも動かない。時として、その頑固さにはほとほとおれ自身も嫌気がさすが・・・。だけど、それよりなにより、おれはクラスではひょうきんものとして人気がある。それもオスガキにではあるが。それらをおれの取り柄としておきたいと思う。

 おれの家は、茶店(サテン)をしている。が、お客が入っているところを余り見たことがない。店はお袋がやっていて、親父が手伝っているわけだけれど、どうもおれには親父が邪魔をしているように思えてしかたがない。百獣が住んでいるようなジャングル頭と、ゴキブリの巣のような鼻髭と顎髭を生やして、終日カウンターに腰を掛け、新聞を読んだり、週刊誌を見ていて、客が入ってくると、団栗と達磨を掛けたり割ったりしたような目でじろりと見据えるのだから、幾らお袋がこぼれるような笑顔を振り蒔き、

「いらっしゃいませ」と明るく声を掛けても、お客は帰ろうと言うものだ。店が暇なので、二人はあくびばかりしている。そのためにおれが学校から帰ると、良いおもちゃが帰って来たとばかり構う。店のテーブルで宿題をさせるのだ。そのおれの姿を見て時間潰しをしていると言うわけだ。だから、おれは帰った時にお客がいますようにと心の中で祈るのだ。客が一人でもいれば、おれはおれの部屋で好きなプラモデルいじりや、マンガや、ファミコンゲームをすることが出来るのだ。

 あんちゃんは、中学二年生でハンドボール部に入っているので帰りが遅いから、おれのような思いをしなくてすむ。あんちゃんが帰る頃は多少店もたて混んでいるからだ。

「勉強をしなくては、好きなことも出来んぞ。今、学んでいることは、例えば家の土台のようなものだ。確りした基礎を造っていなくては、その上にどんな立派な家を建ててもすぐガタがくる。漢字が書けんでも、九九や分数が出来んでも飯は喰えるが、それでは余りにも貧しいではないか、さもしいではないか。人間はパンだけでは生きられないものだ。生きると言うことは、一人では生きられんものだ。楽しみ、悲しみ、笑い泣きをしなくてはならん。そのためには、どういう時に笑い、どういう時に泣くかを知らなくてはならん。それが勉強と言うものだ。だから勉強はしなくていいが多少は必要なのだ」 これが親父の口癖なのだ。そんな時、

「おとん、新人賞は何時取るん。直木賞は、芥川賞は・・・」と、おれは逆襲する。

 親父は目を白黒させ、口をパクパクさせて、おれを恨めしげに睨みつけて黙りこむのだ。

「お父さんは、お父さんなりに一生懸命に勉強しているのだけれど、お父さんより、少し勉強する人がいて・・・。だから、勇太君も勉強しなくてはいけないのよ」

 と、側で聞いていたお袋が、親父への助け舟を出すのだ。その言葉には多少皮肉が込められていたように思う。そんな時、ああこれが夫婦愛ってやつかとおれは思うのだ。

 親父は売れない物書きだと言っている。店の二階の書斎兼寝室には壁一面にやたら難しそうな本が並んでいて、床が下がっている。階段にも雑誌が天井まで積上げてあって上がり下りが不自由なほどである。机の上にはなにも書いていない原稿用紙がドサット置いてあり、その上に太い万年筆が転がっている。屑篭には書き損じの原稿用紙が丸められて捨てられている。まるで書斎の風景は親父の言う売れない物書きのものだ。

 おれ達一家は、年に二回演劇を観る。親父が台本を書き、演出をしたのを観るのだが、正直なところ良いのか悪いのかおれいは分からない。が、お客があくびをしたり、つまらなさそうな顔をしているので、たいしたことはないのだろう。親と子の付き合いもしんどいものだとそんな時つくづく思う。おれは付き合いだから、義理だから、真剣に演劇なんか観ず、小便にかこつけて外に出て遊んだり、自動販売機の缶ジュースを買って飲んだりしている。舞台裏を覗くと、親父が苦虫を潰したような顔をして、舞台の袖から役者の演技を睨み付けるように観ている。

「アホ!バカ!スカタン!マヌケ!教えた通りにやらんかい」と独り言を言い、やたら煙草をふかしている。

「おとん」おれが近よって声を掛けると、

「席に帰って観とれ。・・・あいつら、わいの芝居をわやくちゃにしやがってからに」と口汚く罵り、頭を抱えている。親父は親父なりに悩んでいるのだなあと思い、少し可哀相になり、おれは席にすごすごと引き上げる。「もうやめた。芝居なんかもうこりごりだ。金輪際やるもんか。誰がなんと言ってもやるもんじゃねえ」

と、帰って来て言うけれど、次の年も懲りもせず台本を書き、演出をしている。大人の世界も、親父の言葉も良く分からないけれど、乞食と役者と代議士は三っ日やったら止められぬと言う口癖が、親父を演劇へとかりたてているのだろうか。お袋は親父のそばでにこにこと笑っている。その笑いは半分以上親父の行動を諦めているものであるらしい。出来もしない決断をやっている親父に対して、笑って受けているお袋は本当に大きな袋を持っているのかも知れないと思う。

 そんな家庭で生きているおれだから、他の子供中心の家庭で育っている友達とは少し違う。つまり、おれの意思を尊重すると言う親父の言葉は世間にはよく聞こえるが、言うなれば放任主義なのではなかろうか。面倒臭いと言うことなのではなかろうか。親父はなんでもおれが知りたいと思うことは教えてくれる。一を尋ねると十を教えてくれる。つまり教えたがり屋である。例えば帽子のことを聞くと、話は靴下まで及ぶと言うわけなのである。何時だったか、豊臣秀吉のことを聞いて非度い目にあった。なんと話は司馬遷の史記にまで遡ったのだ。しまったと思ったが後の祭りであった。教科書どうりには教えてくれないのだ。だから親父の教えてくれたことを解答にしたら×だった。豊臣秀吉をスッパ(忍者・スパイ)と書いたのだ。それを親父に言うと、×をつけた先生に解答を訂正しろとねじこんだので、先生は専門書を乱読しなくてはならなくなったらしい。おれはそれで先生からまた白い目で見られる羽目になった。奇人の親父を持つと子供は気苦労が多いいのだ。

「男と女のことで分からないことがあったらどんどん聞け」

 これも親父の口癖である。店にはおなんの裸の写真が載っている雑誌や、ヤラ本のマンガも多いいので、おれに免疫をつくらそうと言う魂胆であるらしく、ここには書けないようなことを平気で口にする。おれが知りたくないのに、おれの頭に叩きこもうとする。だから、大抵の事は知っている。おれは時々不安になる。大人になったらどうなるんだろうかと。

 これくらいでおれがどのような両親に育てられたか、そして、現在がこうなんだと言う判断の材料になったかな。



 ぽっんぽっんとアスファルトに小さな黒い点が広がったと思ったら雨になった。おれは走った。店の方から帰ると、親父が男か女か分からないような風貌の人と話していた。しめしめ、おれは「帰りました。いらっしゃい」と言って急いで裏の部屋へ逃げ込んだ。

「勇太君、宿題だけはするのよ」と鈴を鳴らしたようなお袋の声が背にぶつかってきた。

「はーい」と返事はしたけれど、そう簡単に宿題に取りかかれるものではない。なにせ、おれはのんびりしているのだから。それに、本棚にあるマンガ本がおれに微笑みをかけてきているのだ。机の下に隠してあるプラモデルが一緒に遊ぼうと甘い囁きを投げてきていた。ファミコンゲームのディスプレーが退屈そうにあくびをしていた。それらの誘惑を振り切って、ゆっくりと服を着替えた。そして、マンガ本をとって読む。おれはマンガ家になろうと密かに決めていた。

「マンガばかり見ていてマンガ家になった奴はいないぞ。マンガ家になりたいのならマンガに溺れてはならん。夢とか希望は大きいほどいい。が、それなら死ぬ思いで二階の本を全部読むくらいの勇気と忍耐力がなくてはならんぞ」

 どこでおれの心を覗いたのか、親父がそう言った時には飛び上がるほどびっくりした。そのことを思い出して、おれはしぶしぶ机に向かった。担任の鬼の明楽が、おれのためにわざわざ宿題を作ってくれたのを、ランドセルから引っ張り出して見る。漢字の書き取りがビッシリとある。これこそ本当にありがた迷惑なことである。けれど、せっかくおれの将来の礎のためと思って作ってくれたのだからしないわけにはいかないだろう。と思って鉛筆を持った。

「テストをし、採点をしてすぐ返す先生は信用してはいかん。テストとは、自分の授業が生徒にどれだけ分かっているかの基準にするべきものであって、その結果によって教育の在り方を考え直すべきものであるからだ」と、言うのが親父の理屈である。おれにはよく分からないことだ。

「ほほう、やっているな。大雨にならねば良いが」

 親父が部屋を覗いて声を掛けた。

「おとんが原稿を書いたらやむかもしれんで」

 おれはそう軽口を叩いた。

「検閲!」と、親父は叫んでランドセルの中を調べ始めた。

「おとん、なにをするんなら。それはプライバシーの侵略じゃど」と、おれはランドセルをひったくった

「このドアホ!社会の教科書の問題を作った出版社のような事を言うのではねえ。あれは明らかに進出ではなく侵略だ」と、親父は向きになって言った。が、おれはランドセルの手を離しはしなかった。

「なにをわけの分からんことを言うとんなら、おとんは、僕の部屋への侵略とランドセルの掠奪をしようと言うんか」

「やかましい、これは親権によって行われる正当な行為なのだ」

「それは真剣に親権の濫用と言うもんじゃ」

「その態度、自分を過剰に防御しようとする保護心理は、裏を返せばおまえの心に疚しいことがある証拠だ」

「そう言うおとんには・・・」

 おれは言葉を捜したがもう底をついていた。

「国語のテストが入ってあると顔に書いてあるぞ。点が悪くて見せられんとも書いてあるぞ」

 そう言われておれは自然に手を顔に持っていっていた。しまったと思ったが夢の中の小便だった。

「どうやら誘導尋問にかかったな。お主は若い。おとんに立ち討ちしようとするならば、例えば三十年早い」

 言葉のやりとりの間、ひっばられたランドセルはキュキュと悲鳴を上げていた。

 親父は雨の日には頭痛と一緒に、脳の回転が早くなる。そして、粗野になるのだ。そのことをおれは反対性理論と名付けて気を付けていたのだ。だからテストは机の一番下の引き出しにそぅと忍ばせていた。

「こら、怒らんから出してみろ」

「なんにもはいっとりゃせんで」

「出してみろと言ったら出してみろ」

 むきになった親父が馬鹿力でランドセルを引っ張った。おれもあらんかぎりの力で負けてなるかと引っ張ったが、おれはランドセルが可哀相になり力を緩めた。

 親父はもんどりうって引っ繰り返えりロッカーにぶつかった。その拍子に上からプラモデルが数個、親父の頭を直撃した。

「まだこんなものを作っとんか」と、言ってプラモデルを壊し始めた。

「やめてくれ。それは僕の命から二番目に大切なものなんじゃから」おれは半べそをかきながら言った。

「素直に出さんからだ」

 親父は頭と尻を擦りながら言った。

 おれは東大寺の仁王さんのような親父の顔を見ていてしらを切り通す自信がなくなった。机の引き出しからテストを取り出して親父の前に出した。親父はそれを手に取り、

「素直に出せんわの、三十八点でわな。でも、この前の二十三点より十五点も良いではないか。何も隠すことはないではないか」

 頭を二三発殴られることを覚悟していたおれは、あれっと思い拍子抜けをした。雨が降る筈だ。まてよ、頭が割れるほど痛んでげんこつを振り上げる元気もないのだろうかと思った。

「おとん、今日は何かあったんか」

 良く見ると何時もの顔色ではなく、今日の空のように暗雲がかかっているようであった。

「うん、まぁあったかと言えばないし、なかったかと言えばあったし・・・」うわの空で言った。

「頭痛がするんか?」

「うむ、まあな」

「なんか気味が悪いで、何時ものおとんと違うけえ」

「何時も怒っとる方がええか?」

「そりゃあ、今日の方がええにきまっとるが・・・」

「おとんはな、考えを変えることにしたんじゃ。人間にとって一番大切なものは何かをこの歳になってようやく気付いたのじゃ。おまえ等に偉そうなことは言えんな」「ふん」

「今、おとんが店で話をしていた人の子供が病気で入院しとる。・・・それを聞いてな」

 大きな親父がなんだか小さく見えた。

「勇太、人間にとって何が一番大切じゃと思う」

 親父は真剣な顔をして言った。こんな顔は今まで見たことはなかった。

「そりゃあ・・・色々とあるけえど」

 おれはあれもこれもと考えた。

「さっき勇太が言ったろうが、プラモデルは命から二番目に大切じゃと」

「ああ、そうじゃ、命か」

「その子はあと半年のいのちと言われたらしい。・・・それでおとんも考えた。勉強なんかどうでもええ、健康が一番じゃとな」

「ふん・・・じゃけえど・・・勉強も大切なんじゃろう」おれは親父の顔を覗きこんで言った。

「いや、そとに出て遊べ・・・身体を鍛えろ・・・。その子は勉強ばかりしとったらしい。が、・・・あの世で役にたてば良いが・・・」

「そんなら、僕はどうすりゃええん」

「好きなように生きりゃあええ。おとんももう勉強のことは言わん事にした」

「おとんは僕のことを見捨てるんか」

「おまえの思うように生きりゃあええんじゃ。勇太の人生じゃからな」

 そう言われるとおれは困る。はいそうですかと遊べるものではないからだ。それは一番おれにとってこたえることなのだ。

「僕は二階の本を全部読んでマンガ家になるけえ。そして、おとんに楽をさせたるけえ」

「そう無理をせんでもええ。人生は短いようで、また永いものだ。急ぐこともあるまい」

 そう言って肩を落とし二階へ上がっていった。余程、友達の子供のことがショックだったらしい。おれは鬼の明楽の宿題に取りかかった。分からぬ漢字ばかりだった。あのいがぐり頭の明楽はひょつとしたら中国人ではなかろうかと思った。

 おれは宿題を持ってトントンと二階の階段を上がっていった。親父は机の上の原稿用紙に向かってペンを走らせているところだった。

「おとん、少しばぁ教えて欲しいんじゃ」

「漢字なら、おとんより辞書の方が良く知っとるぞ」

 と分厚い辞書を出した。相当の重症だと、思った。

 何時もなら、こんな字が分からんのかと、おれの頭をこつきながら教えてくれるのに、今日の親父はビスターのようにおれの意思が通じなかった

「おとん、煙草の本数減らし、身体に気を付けてくれんとおえんど、まだまだくたばってもろうては困るけえな」涙線の弱い親父に優しい言葉を投げつけた。

「ああ、煙草もやめた、夜ふかしもやめた。新人賞も、直木賞も、芥川賞も命に比べたら屁のようなものじゃ。かあさんがいて、豊と勇がおりゃあ、それで幸せよ」

 弱々しいおとんの声が少し湿っておれの前で落ちた。親父は作家らしく、友達の話を聞いて追体験をし、自分が不治の病の子を持った親の心境になっているらしい。マンカ家の先生もそのような追体験をするのだろうか、それなら御免だ。幾ら強靭な身体と精神があってもたまったものではなかろうと思った。

 その日から親父は変わった。難しく言えば、今までは心の大切さを説いていたのに、今は肉体の大切さを説く人に変わった。更に言い換えれば、精神の大切さから物質の大切さに変わった。更に言葉を替えれば、唯心論から唯物論に変わったのだった。おれは理解した。あの大東亜戦争のおり、天子様を説いていた先生が、実は天子様は人間だったと言葉を翻した時の心境が親父であり、神と教えられた生徒が、神は実は人間だったと聞かされて一体なにがどうなったのか分からなかったであろう生徒の心境がおれなのだと言うことらしい。

 それからは、あんちゃんやおれに勉強をしろとは一切言わなくなった。張り合いがないったらありゃしない。親父の怒る声と、げんこつがなんだか懐かしくなってきた。

 家の中にはどんよりとした墨を流したような雪雲が垂れ下がっていた。その所為か心も身体も寒かった。

「あれじゃあ、まるで病人じゃ」とあんちゃんが言った。あんちゃんもこのところ学校から早く帰っている。

「うん。今はまだ病人じゃねえけど、いずれ病人になるで」おれが言いたかったのは親父は半病人であるって事だった。

「なにか、ええ方法はないじゃろうか?」

 おれは思い付いていることがあった。一か八かやってみるしかないと思った。

「ショックでああなったんなら新しいショックを与えるしかないと思うんじゃ」

 おれは精神病患者に施す治療を親父から教わっていたのを思い出していた。つまり、電パチ、ショック療法と言う奴である。

「ええ考えがあるんか」

「あるある。それはなあ・・・」

 おれはあんちゃんの耳に口を寄せある事を吹きこんだ。これは今までどんな名医も施したことのない治療方法だろう。まあ、小六のガキのおれが考えることだから、月並みと言えば月並み、バカらしいと言えばバカらしいものだった。

「それはええかもしれん。やってみるか」

「うん、次にやるよ」

 あんちゃんとの相談はまとまった。

 それはなあ・・・おっと、ないしょ、ナイショ。

 それから数日して、おれは二階で原稿を書いている親父にテストを見せに上がった

「十二点しか取れんかった。最近、おとんが何も教えてくれんけえ」

「ほう、十二点か、まあいいではないか。前より少し悪いが、O点より上だ」

 親父は動揺もせずに言った。喜怒哀楽の激しい気性はどこえ、本当のところどこえ行ってしまったのだろう。「人間は心が柔軟であればあるほど喜怒哀楽が出るものだ。それを押さえるのは素直ではないし、ストレスがたまる素だ」と親父は良く言っていたのだが・・・。

 おれの考えは通じなくて肩透かしを食らってしまったのだ。あんちゃんも同じようなことを言われたらしい。こうなったら男の意地だ。絶対に親父をおれの方に振り向かせてやる、と心に誓った。

 友達と喧嘩をした。校舎の窓ガラスを割った。早速学校から家に電話が入った。学校と言う所は、生徒がなにか悪いことをすると親にすぐ電話をかける。先生と生徒がその事について話し合わないのだ。それがおれには幸いだった。

「ほほ、そうですか。まあ、子供は喧嘩もすれば物を壊すくらい元気がのうてはいけません。当方では寧ろ奨励しているのです。喧嘩をして初めて本当の友情が生まれるかもしれないし、物が壊れることで世の無情を知る事になるものですから」」

 と、親父は平然と屁理屈を並べ、鬼の明楽に対抗したらしい。明楽の細い眉が釣り上がり、薄い唇が耳まで裂けるのをおれは頭に描いた。

 次の日、鬼の明楽は鼻の穴を大きく開けて、おれを睨みつけながら、

「君のお父さんは、歴史のテストの時の答えといい、昨日の電話の応接といい、大分変わっていますね」

 と、言ってぷいと顔を背けた。鬼の顔がひょつとこに見えて腹を抱えて笑った。が、家庭の中には不気味な空気が流れていた。

「ふふう、今度は八点ですか、前より少し落ちたが、なに十点満点と思えば気が楽ではないか」

と、動じる事なく、笑顔まで作って優しい言葉を発したのだ。おれは背中に冷たい汗がドット溢れるのを感じた。これは身体にも心にも決して良いものではない、永く親父と付き合っていたらこちらまで可笑しくなりそうだと思った。おれの作戦は見事に外されてしまった。相手にされないと淋しいものだ。あの濁声を聞かないと落ちつかないものだ。怒鳴られないと張り合いがないものだ。と言うことを嫌と言うほど味合わされた。

 おれはまたあれこれとない知恵を絞って考えた。あんちゃんにも相談した。そして、その結果は、今度は勉強をして百点満点を取れば、親父はびっくりしてひっくり返り元の親父にかえのかもしれないという結論に達したのだった。よっし、やるぞ、これも世のため人のため、ひいては自分自身のため。これも親父のため・・・。

 おれは勉強をした。この調子で勉強すれば東大の先生になれるかもしれないと思えるほどやった。次のテストの時、百点を取った。鬼の明楽がおれを変な目つきで眺めていた。その目はカンニングをしたんでしょうと言いたそうな目であった。おれはその目を怒りの眼で睨み返してやった。

「けけう、百点か、ほほう、やれば出来るではないか。だがな、いくら勉強が出来ても身体が弱くてはなんにもならないぞ。なにも、勉強が出来て東大に入り国を動かすことの出来る人間にならなくても、人様の邪魔になる石を動かせることも立派な生き方ではあるのだからな。決して無理はいかん、次からはほどほどにすることだ」 親父は穏やかに言ってのけた。

「おとん、おとんの方こそ身体を壊すなよ。僕のことは心配はいらんけえ。今日のテストはほんのまぐれょ」

 なぜか涙が頬を伝っていた。それは感動の涙だったんだろうか、心が通じないくやし涙であったんだろうか。はたまた、いくら投薬をし注射をしても一向に良くならない患者の担当医師の焦りに似たものであったんだろうか。

 よっし、こうなれば最後の手段だ。つまり本当のショック療法しかないとおれは思った。

 学校から帰りに、友達の家に遊びに行った。日が暮れても帰らなかった。宮沢賢二の銀河鉄道があったらそれにのっかって宇宙を旅したいところだった。おれは逢沢賢二の所で、銀河鉄道と言うテレビゲームをしていたのだ。家ではお袋が気が触れたように大騒ぎをしているとの連絡が、あんちゃんから入った。が、肝心の親父は平然としていると言うことだった。

 これも失敗か、もうあらゆる手は尽くしたが助からぬ、予後不良患者だと諦めて家に帰った。

「ただいま!」おれは大きな声で言った。

「どうしていたの。こんなに遅くなって、今、何時だと思っているの」

 お袋は飛び出してきて、おれのほっぺを力いっぱいぶった。

 その時、二階から物凄い音がして親父が駆けり下りてきて、なにも言わずにおれの頭にハンマーを下ろした。「このドアホ!親に心配を掛けるのが一番いけねえ。今晩の飯は抜きだ」

 元気な頃の親父のバカの大声を、おれは嬉しく聞いた。そうでなくては。それでこそ親ってもんだぜ。と、おれは心の中で呟き涙を流した。

「これ、泣いてないでお父さんに謝るのですよ」

 お袋がおれの肩を押さえて言った。

「ちょっと、遅うなっただけじゃあなえか。そんなに怒らんでもええじゃねえか」

「なに!親に向かって口答えをするのか」

 親父の膝蹴りがおれの尻に飛んできた。

 痛くはなかった。愛のむち。言葉のむち。をおれは快い気分で受け止めていた。

 おれは夕食抜きで、腹の虫がグウグウ鳴くのを堪えるのに涙が出た。これで元の元気な親父になってくれるのなら、お安いものだと思った。世話をやかせる親父だぜ。でっけえ身体をしてはいるが、精神年齢はおれとどっこいどっこいだぜ。

 今年も親父の芝居を観に行こう。今度は真面目に観よう。それらは、親父の分身なのだから。

 おれが小便に起きると、二階のドアの隙間から一筋の明かりがこぼれていた。親父とお袋の声が微かに聞こえてきた。それは声が降ると言えばいいのか。おれは声に惹き付けられるように階段を足音を殺して上がった。

「あいつの子は死んだらしい。子供は天使だと言うのに・・・。あいつの心を思えば・・・。うちのわるガキの天使のやつ、なかなか手のこんだことをしよって・・・。だが、その心がうれしいょ。やはり、おれの子だ」

 おれはそれを聞いて、眼の奥が熱くなり涙がとめどなく流れた。

 ちくしょう!



 親父の奴、おれより一枚も二枚も役者が上であった。そりゃそうか、売れないとはいえ、読者に嘘八百を並べて騙している作家であったのだ。



         2



 水道の蛇口から勢いよく水を出して、口を当て息も切らずに喉に流しこんだ。少しむせた。いっそのこと、流しに水を張り、飛び込もうかと思った。それならば、プールに飛び込んだほうが良いのではないか、と考えてやめた。プールには、まだ水が張っていないことを知っていたからだ。昨日、水泳教室が始まると言うので、四、五、六の生徒は授業中に清掃作業をしたのだった。パンツとランニングは汗でぐっしょり濡れ、重くまとわりついていた。それはそうだろう、六月の初めとは言えじっとしていても肌にじっとり汗が滲んでくるような日であった。

 あれは、国語の授業中、おれは鬼の明楽にあろうことか当てられて、黒板に答えを書かされたのだった。「 以外」 をおれは 「意外」 と書いたのだ。

 明楽は、意外そうな顔をして、

「違います。この場合 「意外」 でなく 「以外」 と書くのが正しい。それに、跳ねと、滴ができていない。明らかにこれは日本の文字とはいいがたい」と、顔を赤くして言った。

「そうすると、新聞の活字のゴジック体は明らかに日本の文字とは言えないのですか?」おれは少々頭にきて口から唾気を飛ばせながら言ったのだった。

「おう、うふ、・・・」明楽は、口の中で言葉を噛み殺しながら、チューインガムを含んだようにモグモグさせた。

「それでは先生、うちの親父の字は、あれは明らかに日本の文字ではないんですね。子供の僕が見ても、跳ねや滴や留めやこうありゃせんで。まるで、なめくじが這った後のようじゃもの」

 教室がドットわいた。おれは得意だった。

「それは・・・。大人はいいのだ。もっとも君のお父さんは小学生のとき、国語の時間に真面目に授業を受けていなかったのかも知れない」明楽はしどろもどろに言った。

「そんなことはねえと思います。僕の家にはあらゆる文学者の書いた原稿がのっとる本があるけえど、どれもこれも、僕らには読めんものばあですが、それも明らかに日本の文字ではねえんですか」おれはしまったと思った。明楽の顔が、今にも湯気を立てそうだったからだ。教室は拍手と笑いのチャンポンになった。

「それは・・・。それは、それらの文学者が・・・」

「まともに授業を受けていなかったと言うことですか」「そうです。君達はそのような大人になってはいけないから、こうして、正しい書き方を教えているのです」明楽の目が怒りのために卵焼きになった。

「それじぁ、芥川や宮沢賢治・・・」

「もう、よろしい。君は教室のみんなにどれだけ時間の損害を与えれば気が済むのですか。この少しの時間でも、将来にとってどれほどの損害を与えるか分からないのですよ。変な屁理屈はもう結構です。罰として、運動場を十周走って、反省をしなさい」と、明楽は唇を振るわせながら言った。

 と言うわけで、おれは、明楽の言う通りに走って汗をかいたと言うわけであった。

 どうも、あれもこれも親父の教えたがりの精なのだ。「文字と言うのは、つまり、日本には漢字、ひらかな、カタカナというものがあるが、これらは、ただ単に言葉の変わりに思っている事を伝え、かつ残そうとするものである。だから分かれば良いのだ。言ってみれば分かり合える記号なのだから。そのような形になっていればいいのだ。ようするに万民が認め許しあった約束事なのだ」とおれの字を見て言ったのだ。そのとき、それぞれの文学者の原稿に書いた文字 「?」 を見せてくれたのだった。それがおれの頭に浮かんできてついつい鬼の逆鱗に触れる言葉を投げ掛ける結果となっのだ。そして、おれは抗弁の罰として運動場を十周走らなくてはならぬことになったのだ。

 おれが、口から滴る雫を手でぬぐっていると、明楽が近寄ってきて、

「このことは、君のお父さんには言わないように・・・」と、おれの耳元で小さい声で言った。

「どうしてですか?」おれは明楽をまじまじ見て言った。

「それは・・・、つまり・・・このことを君のお父さんに言えば、学校中が大騒ぎになる恐れがあります。その事は、この前の窓ガラスを割った件、豊臣秀吉の件を考えてみても明らかなことです。分かるでしょう。これ以上友達に迷惑を掛けては、君の立場がなくなり、みんなからいじめられるかも知れませんからね。それを先生は一番恐れるのです。なにせ、良い成績を納め、良い学校へ、大企業へ就職をし、よりよい家庭生活をしょうと言うのが、今の教育の在り方であるのですからね。これは、なにも、教育委員会が、文部省が言っていることではなく、国民の総意が望んでいる事だからして・・・。その線にのっといて跳ねだ滴だ留めだと言っているのですから、悪く思わないでくださいよ。君のお父さんの言い分は良く分かります。が、これが教育と言うものなのです。これが民主教育と言うものなのです。つまり多数決で教育方針も決まるのです。君を走らせたのは、授業の流れを止めみんなの勉強意欲を著しく妨げたからなのですから、自業自得、いいえ・・・悪気はなかったのですから」明楽は長々とおじんの小便のような言い訳をチョロチョロとおれの前にたらした。おれは、明楽を見ていて、何だか可相そうになった。まるで、戦争中、自分と言う考えもなく忠君愛国を教えた先生のように思われた。何時だって、本当のことを教えてはいけないのが教育と言うものらしい。この明楽だって、決して自分が行っている事が本当に正しいとは思ってはいないに違いないのだ。

「僕も、何だか気分が優れずに、走りたかったんじゃ。これで気分もスカットしたからいいです」おれは精一杯の笑顔を作って言った。子供が大人の理屈を知っていると言うことが、どれほど子供の世界では住み憎いかをつくづく知らされたのだった。そして、今日学校であった事を親父に言えば、親父は小踊りして喜び、すぐに、明楽へ電話を掛け談判に行くだろう。なにせ、親父は、暇で一日中カウンターの前の椅子に座ってあくびをしたり、鼻毛を抜いたりして時間を潰しているのだから。このことを知ったら、結構な時間潰しの材料が転がりこんだとばかりだぼはぜのように飛び付くに違いなかった。明楽のそのときの慌てぶりが、困惑ぶりが手に取るように分かるようだった。

 学校から帰ると、親父の友達がきていた。なにせ、親父が親父だから、その友達も想像がつこうと言うものだ。つまり、胡瓜畑には西瓜は出来ぬのだ。ライオンのおりにキリンや縞馬は育たないのだ。

「帰りました。いらっしゃい」おれはチョコンと頭を下げて急いで逃げようとした。

「なんや、勇やないか、なんも取って食べる言うてへん。逃げることはあらへんやないか。愛想なしやないか、これでもおいしないコーヒーに三百円はろうてのんどる客やど。それに、勇のおとんとは刎頚(ふんけい)の中やど、勇のおとんを男にするんも、女にするんもわいの胸三寸やど」どうやら、アルコールが血液の中を駆け巡っているらしく、目が充血し、舌と言語発声機能が円滑に連携をしていないらしい。このおっさんは、親父の古くからの友人で、命のやり取りをして、その命がどうなってもいいと言う仲であるらしい。親父がまだ新聞社に勤めていた頃からの付き合いであるらしく、親父と違ってまだ新聞社に席を置き、大阪の本社にいて、社会部のデスクとして活躍をしていると親父から聞いいたことがあった。おれは桝野のおっさんと呼んでいた。大阪から、親父になんの用事があるのだろう。

「おい勇、もうチンポの毛が生えたんか」と大きな声で言った。どうも、新聞記者とか、親父のような自称物書きは、やたらと放送禁止用語を無視してしゃべることを特権と考えているきらいがある。つまり、国が、世間が決めたことを破ることで巾を利かせ、常識を認めないことが、彼らの世界に不文律として定着しているらしい。おれは、そこらが良く分からない。

 おれが黙っていると、

「大阪のガキは勇のように純情やあらへんで。この間なんか、僕のチンポには皮がかぶっとるんやけどどうしたらええんやろか。て、電話してきょつた。聞くとまだ小六やというやないか。わいは、アホンダラ!そんなことは、お前のおとんに聞け、それが家庭における性教育や。と、怒鳴ってやったわ」と、笑いを売るのが本業なのに笑われる事が芸があると勘違いをしたコメディアンのように喋った。このおっさんは、アルコールが入ると極端に品が落ちると言う性癖があるらしい。それは、このおっさんに限ったことではないかも知れない。アルコールが入っていない時は、東大寺の仁王さんのように眉間に皺を寄せ、鋭い眼光で睨んでいるのだ。よくアルコールは気違い水だと言うが、親父の周辺を見ていると、格言、諺が当を得ていることの実証に出くわし、先達の偉大さを認識させられるのだった。その事が、小六のおれにとって幸いかどうなのかは分からないのだが。

「そんなことで、僕は他人に相談やこせんで。僕が聞かん前におとんが教えてくれるけえ。それはそうと、この前の、おじさんの署名記事は少しおかしかったよ」おれは、この辺で少し逆襲をしていなくては好き放題に何を言われるか分からないと思い、先日の記事について尋ねた。

「なんちゅう記事やったかな。ぎょうさんあるよってわからへん。勇が読んで可笑しかったやなんて、それは可笑しいで」おっさんは、少し声を落とし、そんな事があったやろかと言わんばかりに首を傾げて考えていた。

「あのな、この前、僕は新聞をよんどって分からんかったんや。お金が道に落ちとった時、それを拾って警察に届けるんが本当に正しいことなんやろかって・・・」

「おいおい、なんを言うねん。それは正しいことやないか」

「そうだろうか。警察に届ければ、品行方正のいい子だと言われ、落とし主から、一割の礼金が貰える事を計算しての行動と違うのだろうか」

「チョット待て、勇は一体なにが言いたいんや」おっさんは慌てて言った。

「それは打算と言うんではないんですか。当たり前のことをして、褒められ、礼金まで貰える。それはその子の将来にとって本当にええことなんじゃろうか。悪いことをして叱られる方が勉強になるし、騒がずにほっといてやる方がええじゃなかろうか。なんでも美談にする大人の世界は嫌いです。それは無責任です。真実を報道することを建前としている新聞が褒めちぎる記事を書くと言うのもどうかと思うんですよ」

「うむ・・・」 おっさんは金魚のように口をパクパクとさせていた。

「桝さんの負け」親父は黙って聞いていたが、相撲の行司よろしく軍配をおれに上げた。

「おまえは、こいつにどのような教育を付けとんゃ。ほんま、かわいげのないやっちゃで」とおっさんはおれの方へ、笑顔のたばを投げて寄越した。

「僕は、裸の女を見ればチンポも大きゅうなるし、悲しいことがあれば涙を流すし、怒れば腹も立つし・・・」「分かった分かった。もうええ、はよう部屋えいけ」親父が言った。

「僕はなんでも自分の感性で自主的に行動をするんじゃ」と言って、鼻を天井に向けた。

 とにかく、親父の所に集まる人間は、どうも人間であり過ぎるきらいがある。暴言、放言、野次、罵倒など屁のかっぱなのである。その中で生きているおれはこれからどのような人間になるのだろうか。おっさんの言うとおり、かわいげのないガキから、ものおじしない大人になるのだろうか。まあ、今のところはその事が心配なのだが、考えても仕方がないことだ。やめとこう。それに、学校であったことを言えば、おっさんと親父が、板前のように庖丁を研ぎ、明楽をまな板に乗せ、動詞の活用よろしく、未然、連用、終止、連体、仮定、命令と粉々にして、立直れなくしてしまう恐れがある。明楽との約束を守って貝のように口を閉ざしておこう。

「さあ、シャワーでも浴びて、汗を流して勉強でもしなさい」お袋がカウンターの中からやおら顔を見せて言った。カウンターの中には、小さな椅子とテーブルが置いてあって、そこでお袋は食事をしたり本を読んだりするのだ。今のおれとおっさんとのやりとりを聞いてやきもきしたに違いないと思った。

「はーい」とおれは返事をして悠々と引下がった。それは、板(舞台)の上で与えられた演技を、充分過ぎるほどこなした役者の満足感に似ていたに違いない。このことで、鬼の明楽によって与えられた悔しさは消え、忘れていた。

 部屋に入ると、西の窓が開いていて、そこから僅かに優しい風が流れこんでいた。おれは制服を脱ぎながら、さあて、これから就寝するまでの時をどのように過ごそうかと考えた。おれは真っ裸になって風呂場へ飛び込んだ。頭に夕立ちのような水の簾を浴び、しばらく呆然としていた。頭の中の色々の邪心、汚染が少しづつ洗い流されて行くように思えた。

「本を友とせよ」親父の言葉が水の流れの中で、おれの耳に届いた。たしか、本棚の中には、先日親父と買い物に行った時に買って貰った宮沢賢治の「風の又三郎」があるはずであった。それを思い出したおれは、急いで風呂から出た。親父はなんでおれに宮沢賢治の本を買ってくれるのだろう。あれだけ多くの名作を残し、わずか三十八歳で夭折した日本の偉大な作家をおれに見合わせて、どうしようと言うのだろう。だが、宮沢賢治の生活と文学を通して成長した人も多いと親父から聞いた。親父が言うところの「本を友とせよ」と言うのは、その作品を通して作家とも仲良くならなければ、駄目だと言うことが言いたかったのではあるまいか。「銀河鉄道の夜」は、おれを魂の故郷へいざなってくれた。人間の魂が、帰る故郷へ行くには銀河鉄道に乗って宇宙空間を旅しなくてはならないことを知った。宇宙戦艦大和は、宇宙へ旅立って帰ってくる次生への物語ではなかろうかと言うことも、銀河鉄道を読み知っていたからよく分かったのだ。

 何時だったんか、親父が鼻の頭に汗をかきながら言ったことをおれは思い出していた。

「宮沢の賢ちゃんは大した人だ。あの若さで人間としての悟りを総てものにしていた。あの世界観、宇宙生命観は、仏経の上の最高のの至高なのだわ。

 賢ちゃんが、早く亡くなったのもその至高へ一刻も早く行けるパスポートを手にいれていたのかも知れない。だから、賢ちゃんが早く亡くなったからってなにも悲しむことはないのだ。むしろ、人間として死を迎えることの出来る完成された、稀に見る吾人だったのかもしれない」その親父の言葉はあまり良く分からないけれど、その答えが、一連の作品を読めば分かることを教えようとしているのかも知れない。

 だが、いつか親父はこのような事を言ったことがある。

「まあ、読書と言うものは、すぐ欲しい情報はともかく、人生の糧のため、教養を深め、感性を養い、人間の器を大きくするためにあると言う考えは、これは打算である。からして、そんなことを考えずに、もっと自由に遊びのつもりで読めばいいのだ。目的があって読めば、精神が緊張していかん。ようするに精神が弛緩した状態の中でなくては、心の中に種を蒔くと言うことにはならないのだ。

 与えられた本を読むより、自分が読みたいと選んだ本のほうが善くより理解が出来ると言うものだ」

 まあいいか。

 おれは、「風の又三郎」を持ってベットへ寝転がり頬づえをして読み始めた。





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